3月5日 実忠忌
5日と12日にのみ読みあげられる過去帳。
今年は、参籠5年めの北河原公慈師が初めて読役となる「新過去」なので、過去帳の時間に合わせて聴聞に伺いました。
以前、お水取りに関する講座にて、上司永照師が読み上げられる過去帳を何度か拝聴する機会がありましたので、少しは耳が慣れているか、とにかく「青衣の女人」を聞き漏らすまいと、じっと局で前のめりになって耳をそばだて、しっかりと聞き取ることができました。
初めての読役を務められた北河原師の重々しい重厚な過去帳の中で、奈良、平安、鎌倉時代・・・と続く歴史の流れの中で、東大寺にゆかりのある人物の名前を聞いて、当たり前のことですが、この修二会が1269年前から毎年毎年、今この現代にまで脈々と積み重ねられて来ているのだと、改めて感じることができました。
そして過去帳読み上げに続く大導師作法の中の「加供帳」でも、過去に奉納寄進されてきた方々の御名の読み上げがあり、ここでも脈々と続いてきた修二会を支えてきた人たちの存在を感じるのでした。
その後の「諷誦文ふじゅもん」では、江戸時代に二月堂が焼失したことに触れられて、修二会が奈良時代に始まって一足飛びに今に至るのではないことを、改めて感じました。
その焼失した二月堂が新しく建て替えられて今年は350年という節目の年に当たること。焼失してもその年は法華堂で修二会を行ったことにも触れられて、修二会が「不退の行法」であることを強く訴えてらっしゃるように感じました。
「諷誦文」では最後に、阪神淡路大震災や東日本大震災、近年の大きな自然災害の犠牲者の慰霊と被災地の復興を祈る祈りが捧げられ、今年は新型コロナウィルスにも触れた疫病退散の祈りが捧げられました。大導師さんの祈りの言葉を一字一句も聞き漏らしたくないと、私も一緒に祈り捧げる気持ちを強くしていました。
この後は「後誓」と「勧請」という、5日と12日の初夜の大導師作法と呪師作法の間に差し挟まれる大変美しいお声明が続きます。
4年前の3月5日に偶然にも聴くことがあって、今まで聞いたことがないようなうっとりする調べにすっかり虜になったのですが、3年前の聴聞ではあっけなく終わった感があって、今年こそしっかり耳に入れたいと思っていました。
南の局で聴聞していたおかげで、大導師さんの美しい、それでいて温かでまろやかで子守唄のような不思議な調べのお声明に、それに唱和する練行衆の方々の調和のとれたハーモニーがはっきりと耳に入って、有難い気持ちいっぱいになっていました。
まだまだ聴聞をしていたい気持ちもあるのですが、今日はこのあたりでと、呪師作法の前に局を後にしたのでした。
(トップの画像は3/5の聴聞で帰り際に撮った一枚)