お松明終了後はいつものようにこの道を通って二月堂へ。
お供田を過ぎて石畳を緩やかに上りながら裏参道を進むと、二月堂の灯りが見えてくる。参道の脇を流れるせせらぎの音も聞こえてくる。結界の注連縄はまだ先。でも灯りが見えて水の流れる音が聞こえるここからが聖域に入ったと、いつも思って参道を急ぎます。
湯屋の前まで来ると、遅い時間にもかかわらず鹿が施しのご飯を食べている。初めてこの光景を見た時は「洗い米を食べている!」とどれほどびっくりしたことか。今は「今日はご馳走だね」と心の中で呟きながら通り過ぎるのだけれど。
ある日は蝋燭がたくさん灯っていて先ほどまでお参りされていた方の気配を感じ、ある日は、立ち込める煤の匂いについ先ほどまでの喧騒を思い、西の正面にて手を合わせ、思い思いの場所にて堂内の声明に耳を澄ませます。
コロナ禍の今年は局での聴聞が不可となり、ご遠方から毎年お越しの多くのお客様方が、ご自宅で修二会に想いを馳せて祈りを捧げていらっしゃる時間。来たくても越れないもどかしさの中にいる多くの方に申し訳ないと思いつつ、堂外にて聴聞させていただきました。
と言っても長時間ではなく、まずその冷え込みに身体が持たなくなって「法華懺法」をはさんで1~2時間の聴聞です。下七日になってからは、咒師作法の後に唱えられる「教化」もしっかり聞き取れて、人がほとんどいないせいか、堂外でもお声がとてもよく聞こえるのは驚きでした。
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修二会14日間の後半にあたる下七日(8日からの7日間)は、下堂時間も1時間ほど早くなって聴聞者にとっては身体が楽に感じます。でも堂外聴聞の今年は、最後まで聴く体力が途中でなくなって、8日から毎日通いながらも未だ「手水手水」まで聞けないでいました。
今年の修二会は12日から河瀨直美監督撮影の映像がYouTubeで配信されたり、13日はNHKで生中継されたりと、おうちで修二会を拝聴できるので、実際に二月堂に伺うのは今日が最後と、11日こそは最後の晨朝まで聴聞しようと伺いました。(上の写真は、12日の籠松明の炎の勢いで火事にならないために、前日の11日に消防用のホースで存分に水を撒いておかれます。)
この4日間はほとんど毎日、初夜咒師作法から入り、教化、半夜の勤行、法華懺法、後夜の勤行途中で退席していましたが、ようやく後夜での教化も聞いて晨朝、そして下堂風景もしっかり拝見でき、今年も開業記念日に伺えて、ずっとお護りいただいていることに感謝をお伝えして二月堂を後にしました。