2021年12月3日金曜日

「早朝散歩」のこぼれ話~その③「千日不断花」と「屋参籠」

「早朝散歩」で東大寺境内や奈良公園をご案内するため、東大寺関係の本を何冊か読み、また東大寺に詳しい方にも教えていただいたりして、皆様にお話する内容を膨らませていきました。

その何冊か読んだ本の中で、狭川普文管長が35年ほど前に書かれた「シルクロードの終着駅・奈良 東大寺物語」から、「千日不断花についての法華堂扉の落書」と「屋参籠」についてご紹介します。
::
まず「千日不断花せんにちふだんげ」について書かれた落書について。
法華堂(三月堂)北側にある「八角形ののべ石」。
二月堂から下りてきて見かけたこともあると思います。
特にこれが何だろうと疑問を感じずにいましたが、平安時代末期に法華堂で行われた「千日不断花」という行法で供花されるたくさんの樒を捨てる場所だったそうで、『法華堂内陣の東西の扉の柱に「千日不断花」に関する落書きがある』ことも知りました。

境内を歩きながら楽しめる ”ちょっとしたこぼれ話” 的なことをご紹介しながら歩いた「早朝散歩」。11月の回では、この八角形ののべ石についてもお話しました。
狭川管長のご本に載っている「落書」については、法華堂内に入って西側や東側の扉の所に行かないと見られないと思っていたので、しっかり説明しなかったのですが、御礼参りで伺った時に、法華堂の外側から鮮明に落書きを見ることができたのです!
(早朝は扉が閉まっているので見えなかったと思いますが)
西側扉北の柱の落書き「保延元年八月廿三日千日満但結願」が↑
そして同じく西側扉の柱、こちらはちょっとわかりにくいです↓
密を避けるためのコロナ対策で、換気のために扉を開けて下さっているおかげで、外から確認することができました。
東側の扉については、堂内の両側面を通ることができる12/16の開山忌で確かめようと思っています。(見られるといいのですが・・・)
::
狭川管長のご本からは、もう一つ「屋参籠」という言葉を知ることができました。
『また屋参籠と称して、一住職五日間の割合で順番に、そして交代で境内の各伽藍を早朝に巡拝する習慣があります。大体三ヶ月に一度まわってくる勘定になります。』とあります。

早朝散歩の予行演習として7月から何度も早朝に歩いていると、境内諸堂を巡拝されている僧侶の方と何度か会うことがありました。
7月と9月の中旬頃にお会いした上司永照師、8月の終わりには清水公仁師にもお目にかかって、二月堂や大仏殿で読経されているお声を拝聴するだけで、元気を分けていただけたような気がしました。
ちょうど、その頃に「屋参籠」という言葉を知って、このことだったのだと腑に落ちたのです。
上司師と清水師は、二月堂から開山堂、天皇殿、大仏殿、勧進所というルートなので、皆さんがこのルートなのかなと思っていたら、早朝散歩で上野周真師と出会って、大仏殿から天皇殿というコースで巡拝されているのを拝見して、巡拝のルートや時間はそれぞれの方の自由なのだと理解した次第です。

35年前には3か月に一度だった順番が今は2か月に一度になりましたが、5日間というのは変わらないようです。
毎日5時に二月堂朝参りの知人から「上司さん、今日から始まりましたよー」という連絡もいただけて(11月は仕事と重なり出かけられませんでしたが)、有難いネットワークに感謝しながら、次回の巡拝は拝聴できますようにと願っています。
 
「屋参籠」という一山あげての諸堂参拝リレーが脈々と続けられていることや、平安時代に行われていた法要について、今も目にすることができる千年も前の痕跡に、東大寺の歴史の凄みに触れることができて有難いことでした。
::
「早朝散歩」のこぼれ話は
その①東大寺境内に女子学院?→
その②二月堂周辺→
を書いています。