先日(8/29)開催した「早朝散歩」でお伝えしきれなかったこと・・・というか、「早朝散歩」のための資料読み込みで知ったことの裏付けが取れずに、当日にお話できなかったことが幾つかあって、その中の修二会に関するこぼれ話を2つご紹介します。
すでにご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが・・・
二月堂に上がる登廊の手前の細殿の壁下方の部材に傷があり、お松明の長さを測る目安とする傷だと教えてもらったのですが、よく見ると傷は2か所あるし、お松明の竹の頭の部分か下の部分のどちらをここに合わせるのか?
またもう一方は登廊の石段、それとも下の階段の石段に合わせるのかきちんと知りたいと思っていたところに、修二会の際に童子を務めるKさんとこの場所ですれ違うという偶然に恵まれました。
竹の根っこを登廊の石段の4段目に置いて、傷のところに竹の頭の方を置くそうです。これは8日の朝に籠松明の竹にだけにすることで、今では先に巻尺で測っておいて、形式だけになっているそうです。
そして、傷が2本あったのは、竹の節の上で切るのが大事なことなので、およそその辺りという2本の線(傷)だそうで、きっちりこの線のところで切るというのではないそうです。
Kさん、教えていただきありがとうございました。
3月8日の朝のこの風景をいつか目にしたいものです。
もう一つは、修二会期間中に練行衆が入る湯屋に関しての話題です。
今回の「早朝散歩」での、こぼれ話的な話題の多くは「東大寺図鑑」(ケンズ井上著)から参考にしました。湯屋に上がる踏み石の前の石については、「この石を踏まないように飛び越えて湯屋に入る」ことが伝承されているとあり、これは今年の修二会の際にも確認しているのですが、「入口は練行衆の僧階により違い、上座の僧は西側から、下座の僧は東側から入ることが天平以来の決め事として守り通されている」とある文章について、入り口の西側東側ってどういうこと?と長く疑問に思ってました。
私は勝手に、外から見える入り口についてだと思い込んでましたが、これはその入り口から入った中にある唐破風付きの左右別々の入り口のことだと、後でもう一度読み直して理解したのです。
でもその前に、今年の修二会で仲間ちゅうげんとして籠られていた「七福食堂」店主の境さんにも、お尋ねして教えていただき、それで西側東側という記載に合点がいったのでした。
(七福食堂でパルフェをいただいたツイートはこちら★)
一通り読んだだけでは頭に入ってこなかったことも、実際に関わっている方からお聞きするとスルッと理解できて興味が尽きないです。
「早朝散歩」でお伝えしきれなかったことは、まだもう少しありますので、時間のある時にまたブログに書いて、シリーズ化していきたいと思っています。
「早朝散歩」でお伝えしきれなかったことは、まだもう少しありますので、時間のある時にまたブログに書いて、シリーズ化していきたいと思っています。
「早朝散歩」のこぼれ話~その①東大寺境内に女子学院?→★