「かつてない空海展」と言われる展覧会は、まず全出陳品の4分の3が国宝と重文(国宝28件・重文59件)という超豪華な内容で
そして、第一展示室がすべてが立体曼荼羅の世界に構成されていて、入った途端におおお!とびっくりします。
広い展示室の中央に、京都・安祥寺の五智如来坐像が立体的に配置され(いわゆる壁に一列に並べるのでなく)、奥の壁面いっぱいに両界曼荼羅(血曼荼羅)とその前に密教法具が並ぶ大壇具が置かれ、両脇の壁面には十二天像や五大尊像のいずれも国宝の仏画が並ぶ展示室。
※この曼荼羅世界を立体的に再現した第一展示室の様子は、美術展ナビのこちら★に写真がたくさん掲載されています。
第二展示室では、インドネシアのジャワ島で出土した彫像群が金剛界の立体曼荼羅として展示構成されていて、海路でインドから中国に密教の教えが伝わったことも驚きでした。
(この彫像群は、輸送に耐えられるよう、今回の特別展のために修復作業がなされたそうで、その様子が映像で流れていました)
そして、第三室で「空海入唐」
空海の唐での留学年数が2年程という短さに、その仕事の密度濃度と比較して超人的すぎるし有り得ないのでは?と不思議に思ってましたが、今回の展覧会で、師・恵果との運命的な出会いから、すぐに胎蔵・金剛界の両方をわずか3ヶ月で伝授されたことを知り、恵果が亡くなった日の夜に空海の夢に師が現れて、師弟の関係は一度だけでなく生まれ変わって共に密教を広めたいこと、次は自分が日本に生まれ空海の弟子になることを告げたということが書かれている「恵果和上之碑文」の解説を読んで、師弟が出会って別れるまでの7か月は、厳しい修行の日々の中にもどれほど幸せな時間だったのだろうと想像してしまいました。
空海の唐での留学年数が2年程という短さに、その仕事の密度濃度と比較して超人的すぎるし有り得ないのでは?と不思議に思ってましたが、今回の展覧会で、師・恵果との運命的な出会いから、すぐに胎蔵・金剛界の両方をわずか3ヶ月で伝授されたことを知り、恵果が亡くなった日の夜に空海の夢に師が現れて、師弟の関係は一度だけでなく生まれ変わって共に密教を広めたいこと、次は自分が日本に生まれ空海の弟子になることを告げたということが書かれている「恵果和上之碑文」の解説を読んで、師弟が出会って別れるまでの7か月は、厳しい修行の日々の中にもどれほど幸せな時間だったのだろうと想像してしまいました。
また最後の展示室で、空海が書いた詩文や上表文を集めた「性霊集」の中に収録されている、弟子・智泉の死を悼む文章の中の一節・・・・『哀れなるかな、哀れなるかな、哀れの中の哀れなり。悲しきかな、悲しきかな、悲の中の非なり。』に、若い弟子を失って深い悲しみに沈む姿に、超人のように語られる空海の別の一面を見てとても愛情深い方だと知ることができ、印象に残りました。
その他に印象に残ったのは(写真は図録から)
空海が自らプロデュースした現存最古の両界曼荼羅である国宝「両界曼荼羅(高雄曼荼羅)」が修理後、初めて一般公開されています。(前期胎蔵界、後期金剛界)
紫色の綾地に金泥と銀泥で描かれていますが、会場では色もくすんでわかりづらかったのです。それが図録には、各部分を拡大して掲載されていて、また配置図↓も詳しく載っているのが有難かったこと。
空海が自らプロデュースした現存最古の両界曼荼羅である国宝「両界曼荼羅(高雄曼荼羅)」が修理後、初めて一般公開されています。(前期胎蔵界、後期金剛界)
紫色の綾地に金泥と銀泥で描かれていますが、会場では色もくすんでわかりづらかったのです。それが図録には、各部分を拡大して掲載されていて、また配置図↓も詳しく載っているのが有難かったこと。
今回は、高野山の3大秘宝のうちの国宝「諸尊仏龕」↑と
東寺の国宝「不動明王」↓が欲しいと思いながら鑑賞。
特別展「空海 KŪKAI ― 密教のルーツとマンダラ世界」
会場:奈良国立博物館 東・西新館
会期:2024年4/13(土)~6/9(日)
前期4/13~5/12 後期5/14~6/9
開館時間:9時30分~17時(入館は閉館の30分前まで)
開館時間:9時30分~17時(入館は閉館の30分前まで)
休館日:月曜日、5/7(火)
※但し4/29(月・祝)、5/6(月・休)は開館
※但し4/29(月・祝)、5/6(月・休)は開館