2019年12月19日木曜日

春日若宮おん祭2019*「雨儀のお渡りと大名行列」

12/17 雨模様の「お渡り式」では、行列全体の所々で省略されたり、「南大門交名の儀」や「松の下式」など中止になったものがあった「雨儀のお渡り」となりました。
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スマホカメラに残した当日のお渡り点描ですが・・・
当日は家を出た時間が遅くバスも渋滞していて13時興福寺前到着。
そのまま猿沢池方面へ抜けて 行列見学をすることに。
ちょうど、行列第二番の巫女は馬に乗らずに徒歩にてお渡りされているところでした。この時はまだ雨はぽつぽつ程度で、先頭はビニール合羽を頭から被っている辰市神子(だと思います)
 巫女の後に続く細男せいのお・猿楽座・田楽座の方たちの姿は見えず、その後は、馬長児ばちょうのちご。短冊の付いた笹竹を持った龍蓋を被った従者は後ろについてきていませんでした。
将馬いさせうまが通ったところで、どうも「南大門交名の儀」は無いのだとわかって、「松の下式」が見学できる「おん祭保存会」が入れる場所へ移動。
「松の下式」では細男・猿楽座・田楽座その他に稚児流鏑馬が中止になっていました。競馬は、いつもは三度行われますが、今年は雨の為、一回のみの勝負で赤が勝ち、蘭陵王が先に舞われるとアナウンスがあり

その後、松の下の行事を検知する頭屋の児とうやのちごが「影向の松」の下から御旅所に向かわれました。 不浄を嫌う意味合いから、頭屋の児は地面に触れないよう担がれて行かれます。
いつもは人がいっぱいで動けないし通れないくらいの参道も、今年は雨のために見学の人も少なく、そのまま御旅所前へ移動しました。
芝舞台にもテントが張られています。
おん祭保存会会員は、その芝舞台両側で地面に座って見学できるのですが、雨だと座るわけにもいきませんし、この後入場できてから「お旅所祭」の数時間を立って見ていく気力もなかったので、今年のおん祭見学はここまでにしました。
・・・と、その時、お渡りをするかしないか只今協議中ですとアナウンスがあった「大名行列」が間もなくこちらに来られると、再度のお知らせがありました!
子供大名行列、南都奉行と「ひぃ~よ~いやな~」の元気なかけ声
お練りの所作や、見せ場の投槍も間近で拝見でき堪能致しました。
この大名行列の動画はInstagramにアップしています→
また帰宅して「月刊大和路ならら」2013年のおん祭特集号をもう一度読んでみて「大名行列」に関する知識を新たにしたのでした。
お渡りの最後を飾る「大名行列」は江戸時代の参勤交代の道中行列のこと。平安時代に始まったおん祭の中では比較的新しいものです。明治大正戦前と紆余曲折を経て(この時代の流れも「ならら」に詳しく、奈良奉行役として吉村長慶が駕籠に乗っていた話とかも・・・)
戦後は太秦から映画俳優を呼んでやってもらっていた状況から、大和の伝統的な大名行列を復興したいと、昭和54年(1979年)に大名行列保存会が結成されて、多くの方達の尽力で今に至る・・・その流れが「ならら」に詳しく載っています。
写真でアップしましたので是非読んで見てください。
行列全体を統率する指揮官「南都棒頭」は保存会会長さんの役目。
当日までのリハーサルや本番当日の気の張る様子が書かれています。
大名行列の掛け声「ひぃ~よ~いやな~」は「日ぃ、佳いやな」「よい日和だな」という意味で、大名行列が国入りするときの嬉しさを表すところから、参道の人たちにも恙なくて何よりであるという気持ちを感じてもらいたく、のどかにふわっとのびのびとを心がけて掛け声を出してほしいと、保存会に伝えた川村さんの記事も必読でした。
今では超有名人の樽井さんと坂本さんのお二人の記事は感動しながら読みました。パソコンでは見にくいかもしれませんが、スマートフォンなどで画面を大きくして是非お読みください。
最後のページは鹿鳴園の松山さんのお父様と岡本先生!
まだまだ知らないことも多く深い深いおん祭。
また来年はこうしよう、ああしようと楽しみが増えました。