東大寺南大門の東南方向にある池「三社池」とその東側に広がる奈良公園春日野園地。
この辺りには昭和の頃にプールや児童公園やグランドがあって、1983年の夏に東京から帰省中の私は、ここの児童公園や児童プールで娘と遊んだ記憶があるのでした。
1989年に奈良に移り住んだ時には、もうプールも児童公園もグラウンドもなくなっていたので、おそらく前年の1988年に開催された「奈良シルクロード博」に合わせてこの辺りが整備されたのでしょう。
「奈良生まれ奈良育ちではないけれど、今はない奈良の風景を知っている私」というのが、奈良で観光の仕事に携わる自分自身の奈良に関わるアイデンティティになっていたことは確かで、長いこと「三社池はかつてプールで、そのことを知っている」と自慢げに思っていました。
それがつい最近、「プールの横に沼みたいなのがあって、目立たなかったがそれが三社池だった」つまり「<三社池=プール>ではない」ということを、私と歳の近い東大寺界隈に生まれた方達から聞き、昔の三社池の様子を調べてみたくなりました。
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県立図書情報館で、ゼンリンの地図でプールがあったことを以前に調べていましたが、今回は、私がプールで遊んだ1983年からの10年ほどの地図を書庫から出してもらってコピーしてきました。
春日野グランドの左側(西側)にある小さな長方形がプール(春日野水泳場)で、その西側に見えるのが三社池のようです。
ちなみに春日野水泳場と三社池の間の小さな四角(鳥居の上)は児童プールだと思われます。
1983年から1986年までは形状に変わりなし。
1988年はシルクロード博開催年。春日野園地が会場になっていて、プールもなくなっていますが、三社池の形状は変わりありません。
1989年↑
三社池の形状はプールがあった1986年以前と変わらず、1991年まで同じです。
ここでやっと三社池が二つにわかれた形状になりますし、元の三社池(左側)の形も変わりました。
1992年に二つにわかれた三社池は1995年まで同じ形状です。
1996年↑
ここで現在とほぼ同じ形状になっています。
ここで現在とほぼ同じ形状になっています。
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今回、「三社池」について興味を持ち始めた頃に、たまたま用事で奈良倶楽部に立ち寄られたSさんに、三社池の「発掘調査報告書」があるはずだと教えてもらって、県立図書情報館へ直行。
その「発掘調査報告書」を出してもらってコピーを取っているところに、二月堂修二会繋がりのNさんとばったり出会い、何と!Nさんはその「発掘調査報告書」を持っているとおっしゃるのです。そして、よかったら使ってくださいと送って下さいました。なんという偶然のサプライズなのでしょう!
その「発掘調査報告書」を出してもらってコピーを取っているところに、二月堂修二会繋がりのNさんとばったり出会い、何と!Nさんはその「発掘調査報告書」を持っているとおっしゃるのです。そして、よかったら使ってくださいと送って下さいました。なんという偶然のサプライズなのでしょう!
N さんからは、その他にも 国土地理院の地図を年代別に航空写真で見ることができると教えていただきました。
国土地理院地図1984~1986年↑ プールが見えますし、三社池がある辺りは松林で覆われて上空からは池が見えにくいです。国土地理院地図2008年↑今と形状の変わらない池が確認できます。
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鏡池も三社池も、今の位置にあって「池」とだけ書かれています。
②和州南都之圖 安永7年(1778年)↑
こちらも同じく「池」とだけ書かれています。
③和州奈良之図 天保15年(1844年)↑
江戸時代後期、鏡池は「八幡池」、三社池は「三社」とあります。
④和州奈良之絵図 元治元年(1864年)↑
こちらにも「八幡池」と「三社」の文字。
⑤和州奈良之絵図 明治12年(1879年)↑
同じく「八幡池」と「三社」の文字が見えます。
⑥奈良町実測細見図 明治29年(1896年)↑
「鏡池」は書かれていますが、三社池の存在がありません。
⑦奈良市実測全図 明治33年(1900年)筒井絵図↑
こちらも「鏡池」は書かれていますが、三社池の存在がありません。
⑧實地踏測 奈良市街全図 大正6年(1917年)↑
運動場の隣に三社池らしい形状が確認されます。
⑨奈良名勝案内図 昭和5年(1930年)
運動場の西側に「噴水」の絵と文字!
この頃にはプールが作られていたと思いますが・・・。
それ故、冒頭の疑問に戻ると
そして私が思い込んでいた
●プールの後に三社池が作られたというのも間違ってはいない。
橋には「三社橋」と名前がついています。
右手に見える池が東側の池です。(トップの画像と同じ)
こちらが西側の池で、西側から撮影しています。奈良公園に運動場が整備された時代を追っていくと
明治43年(1910)平城遷都1200年を記念して 春日野運動場完成
大正2年(1913)野球場施設追加
大正2年(1913)野球場施設追加
大正14年(1925) テニスコート
昭和4年(1929)プール完成・・・だそうです。
昭和4年(1929)プール完成・・・だそうです。
そして、その「春日野プール竣工記念」絵葉書なるものが尾田組さんから出されていたようで、これもNさんから教えていただきました→★
では春日野運動場ができる前の様子はどうだったのでしょうか。
江戸時代の地図について、前述のS さんより教えていただき、県立図書情報館の「まほろばデジタルライブラリー」で調べてみました。
※以下の写真9点はすべて「奈良県立図書情報館所蔵」の写真です。
①和州南都之圖 宝永6年(1709年)↑江戸時代の地図について、前述のS さんより教えていただき、県立図書情報館の「まほろばデジタルライブラリー」で調べてみました。
※以下の写真9点はすべて「奈良県立図書情報館所蔵」の写真です。
鏡池も三社池も、今の位置にあって「池」とだけ書かれています。
こちらも同じく「池」とだけ書かれています。
江戸時代後期、鏡池は「八幡池」、三社池は「三社」とあります。
こちらにも「八幡池」と「三社」の文字。
同じく「八幡池」と「三社」の文字が見えます。
「鏡池」は書かれていますが、三社池の存在がありません。
⑦奈良市実測全図 明治33年(1900年)筒井絵図↑
こちらも「鏡池」は書かれていますが、三社池の存在がありません。
運動場の隣に三社池らしい形状が確認されます。
運動場の西側に「噴水」の絵と文字!
この頃にはプールが作られていたと思いますが・・・。
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さて、「三社池」エリアの地図を見て
わかっていることをまとめてみます。
わかっていることをまとめてみます。
<<古地図を時系列に並べて見てみます>>
①②江戸時代中期の地図には「池」という表示のみ。
③④江戸時代後期~幕末期の地図には「三社」の表示あり。
⑤ 明治12年の地図にも「三社」の表示あり。
⑥⑦明治29年33年の地図には池の存在がない(池が書かれていない)
※明治43年運動公園開設
⑧ 大正6年の地図には「池」が書いてある。
※昭和4年プール完成
⑨ 昭和5年の地図には「噴水」とある。
①②江戸時代中期の地図には「池」という表示のみ。
③④江戸時代後期~幕末期の地図には「三社」の表示あり。
⑤ 明治12年の地図にも「三社」の表示あり。
⑥⑦明治29年33年の地図には池の存在がない(池が書かれていない)
※明治43年運動公園開設
⑧ 大正6年の地図には「池」が書いてある。
※昭和4年プール完成
⑨ 昭和5年の地図には「噴水」とある。
<<ゼンリンの地図を時系列に並べて見てみます>>
1983~1986年 プールと池が見える。池とプールの間に鳥居がある。
1988~1991年 プールが無くなり、池と鳥居のみ。
1992~1995年 三社池が西と東の二つにわかれる。(真ん中に通路)
1996年以降 三社池の形状が現在と同じになっている。
↓ ↓
1983~1986年 プールと池が見える。池とプールの間に鳥居がある。
1988~1991年 プールが無くなり、池と鳥居のみ。
1992~1995年 三社池が西と東の二つにわかれる。(真ん中に通路)
1996年以降 三社池の形状が現在と同じになっている。
↓ ↓
ゼンリン地図を追ってみると
●鳥居の位置から、新たにできた東側の池は元のプールの場所と同じだと思います。
それ故、冒頭の疑問に戻ると
●プールがあった時代に三社池がなかったわけではなく、三社池とプールは隣接して両方が存在していた。
そして私が思い込んでいた
●プールの後に三社池が作られたというのも間違ってはいない。
ということがわかりました。
そこでちょっと疑問に思うことがあります。
そこでちょっと疑問に思うことがあります。
●日本人の道徳を形作ったとまで言われる「三社託宣」の文字が現れた池と伝わる「三社池」ですが、明治末に運動公園ができ、昭和初期に隣接してプールが作られて以降、そのような由緒を顕彰されていないように思えます。(「三社託宣」と「三社託宣池」については先日春日大社で教えていただきました→★)
●プールを閉鎖後に三社池の形状が変わっていくのは何故なのか。
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長文を最後まで読んでいただきありがとうございました。
研究者でも専門家でもない一般人ですが、興味を持ってしまったことに自分なりのアプローチで調べてみました。
もし、詳しくご存じの方や、これを調べたらいいというものがありましたら、教えていただけると嬉しいです。よろしくお願いします。
最後に三社池の写真をお届けします。
西側と東側の二つにわかれる三社池の真ん中の通路の橋↑手前の左側に睡ねむり神社があり、地図の鳥居は睡神社の鳥居です。
「三社託宣池」と彫られた石碑もあり、近年この池を「三社託宣」が現れた池だと顕彰されているようです。(この石碑はいつからあるのかまだ調べていません)右手に見える池が東側の池です。(トップの画像と同じ)
向こうに見えるのが睡神社です。
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11/17に開催する、「ちとせなら」さんの朝歩きツアーでは、この辺りもご案内いたします。春日野園地から睡神社、そして三社橋を渡って、普段あまり知られていないところを歩く予定です。
「ちとせなら」さんのサイトを確認しましたら残席1名様らしいです。
ちょっとディープな話満載のツアーですが、もし興味がございましたら、ご参加よろしくお願いいたします。
「ちとせなら」さんのサイトを確認しましたら残席1名様らしいです。
ちょっとディープな話満載のツアーですが、もし興味がございましたら、ご参加よろしくお願いいたします。