「奈良町見知ル」イベントの一つで「武蔵野美術大学奈良寮」が特別公開されましたので、見学に行ってきました。
こちらは、奈良倶楽部から正倉院へ向かう途中の空海寺さんの角を西に入ったところにあり、奈良倶楽部から徒歩数分の距離です。
その名の通り、武蔵野美術大学の関係者の宿泊施設で、普段は一般見学などできませんので、今回の特別公開は貴重な機会でした。写真撮影OKということで、たくさん撮ってきました。
明治初期に建築された大和棟高塀造りの民家で、岡倉天心創設の日本美術院第二部院長 新納忠之介の旧宅だったところです。
茅葺の母屋の玄関を入って右側の広い土間の壁に、忠之介が描いたエジプト壁画が2点、掛けられています。
右側↑が土間で、左側↓に座敷があります。
母屋を出て中庭から見た、母屋の裏側↓
横に結構広くて、瓦葺きの建物は後世に建て増したそうです。おそらくここが宿泊部屋になっているところですね。
中庭を挟んで北側には蔵と、後で建てられた建物があります。
20年ほど前に一度見学させていただいたことがあり、この蔵の中にもエジプト壁画があった記憶があります。
ありました、ありました。
蔵の中、壁の両側に掛けてあります。
この蔵の中も宿泊部屋のようです。
蔵を西側から見たところ↑
さて、また茅葺の母屋に戻ってあちこちカメラ撮影。
こういったもの↑↓は後から置かれたものだそうです。
母屋の前の庭先から、南天やツワブキも咲いていました。
::
2010年のブログ★に「武蔵野美術大学奈良寮」のことを余談として書いていました。そこには、このエジプト壁画を岡倉天心かフェノロサが描いたと記憶していたようで、今日の見学で、この家の住人だった新納忠之介が描いたのだとわかりました。
新納忠之介にいろちゅうのすけについて・・・
新納忠之介にいろちゅうのすけについて・・・
明治時代の仏像修理は岡倉天心が創設した「日本美術院」が行い、国宝修理を担当する
第二部は奈良に本拠を置き「奈良美術院」と呼ばれます。
新納忠之介は「奈良美術院」の総責任者として、明治31年の日本美術院創成から、昭和21年に美術院長を退くまでの50年近くを仏像の修理に携わりました。新納が修復した仏像・神像は実に2600点以上に及び、その中には法華堂の不空羂索観音立像もあったということです。
新納忠之介は「奈良美術院」の総責任者として、明治31年の日本美術院創成から、昭和21年に美術院長を退くまでの50年近くを仏像の修理に携わりました。新納が修復した仏像・神像は実に2600点以上に及び、その中には法華堂の不空羂索観音立像もあったということです。