2019年11月25日月曜日

春日大社「旬祭参列とためになる神職のお話」

春日大社で、毎月1日11日21日に斎行される「旬祭
21日だけは一般の者も参列でき、旬祭の後、神職による「ためになる」講話があります。約1時間の講話の後には、月替わりのトッピングを楽しめる神米粥もいただけるということで「旬祭参列とためになる神職のお話」に、久しぶりに参加してきました。
11月の担当神職は荒井権禰宜。先日の大嘗祭では装束の着付けを担当する「衣紋方」としてご奉仕された方です。

今回の講話のテーマは「神社のおさらい」でしたが、本題に入る前に、せっかくですからと「衣紋方」のお話を少しして下さいました。

以下、長文になります。興味のあるかたは<続きを読む>からどうぞ。



まず、装束について
装束には「束帯そくたい」「衣冠いかん」「狩衣かりぎぬ」と、儀式の重要度によって着用するものが違ってきます。
「狩衣」は普段のご祈祷の時など。
「衣冠」は、春日大社では、若宮おん祭の際に神職が着用。
「束帯」はおん祭では日の使いと宮司のみが着用。格式の高い束帯を着用する神社は春日大社ともう一社だけだそうです。
そして「狩衣」と「衣冠」は一人で着られるが、「束帯」は自分1人で着ることができず、奉仕者が前と後ろの2人必要で、これを「衣紋方」というのだそうです。

荒井権禰宜は掌典職の方々の着付け担当で、お役目をいただいてから練習に励み、習得に一年以上かかったとお話されました。
ちなみに、この装束の着付け「衣紋道」には、高倉流と山科流という流派が二つあって、荒井さんは高倉流を習われたのですが、それは、天皇陛下以外の方々は高倉流と決まっているからだそうです。なぜかと言いますと、高倉流のほうが着崩れしにくいということです。
天皇陛下の着付けはそれぞれの流派の家元が担当され、「悠紀殿ゆきでん」「主基殿すきでん」の儀では2流派を交互に着つけられたそうです。
(2流派の着付けは、見た目はほとんど同じで、袖のとり方と石帯の帯の処理の仕方がちょっと違うだけだそうです。)

大嘗祭当日は早朝6時に集合して、朝10時からの皇霊殿神殿ご奉告祭の着付け。その後、大嘗宮に移動して「悠紀殿」は16時から着付け、「悠紀殿」が終わると一旦装束を解いて、深夜から「主基殿」の着付け。終了したのが4時過ぎでそこから片付けして、すべて終わったのが朝の6時という、大変ハードな24時間でしたとお話されていました。
着付けは衣紋方2人一組で約30分かかり、70名ほどの着付けを14~15組で担当したということでした。

お話を伺っているだけでも、手に汗握る感じでしたが、貴重なお話をありがとうございました。

この後は、本題である「神社のおさらい」のお話で
神職の名前の起こりや、全国に約8万社ある神社の社格や、明治以降にできた社格について、また全国に広がった分社についてなども詳しく教えていただきました。

講話の後のお楽しみは神様にお供えしたお米でつくるお粥「神米粥」をいただきます。今月からは新米の神米だそうで、本居宣長が「玉鉾百首」で詠んだ食前感謝詞を全員で唱和していただきます。そして食後は食後感謝詞でご馳走様でした。

・・・今の時代、ネットで調べればわかるような事柄も多いですが、こうして聴講して伺うことで理解できる範囲が広がって、より一層の興味が広がっていきます。
そして参加された皆さんといただく食事のひとときも格別で、毎月行われている「旬祭参列とためになる神職のお話」に、もう少し頻繁に参加していきたいと思った次第でした。