ホテル尾花さんで開催された、手向山八幡宮 八幡様里帰り記念トークイベント 「八幡様と奈良、その歴史と繋がり」に行ってきました。
大分の宇佐神宮の御鎮座 1300 年という歴史的節目に際し、2025 年 10 月 26 日に開催される「古代宇佐時代祭」にあわせて、手向山八幡宮の八幡様が奈良時代以来となる宇佐神宮へ里帰りをなさることとなり、それを記念したトークイベント。登壇者は、左から宮大工の速水浩氏、手向山八幡宮・上司延禮宮司と塗師で神輿長の樽井宏幸氏、そして司会進行役のホテル尾花・中野聖子さん。
まずは上司宮司より、手向山八幡宮の成り立ちや歴史について。
そして、宮大工の速水さん、塗師の樽井さんも交えて「御鳳輦ごほうれん」新調の裏側をお話されました。
会場でメモした内容を簡単にまとめて箇条書きで書いてみます。
・平安時代につくられた御鳳輦(重文)での渡御は昭和35年が最後で、以降60年間お渡りがなく、宮司さんの父・祖父の悲願であった御鳳輦を2018年に新調。
・大仏開眼1250年の折に宇佐から八幡神がお出ましになっているので、いつかはこちらも宇佐の元宮へご神幸したいと願っていた。
・大仏開眼1250年の折に宇佐から八幡神がお出ましになっているので、いつかはこちらも宇佐の元宮へご神幸したいと願っていた。
・御鳳輦とは、屋根に鳳凰の飾り、紫の錦という非常に格式の高い輿で、かつては天皇の正式な乗物として使用されていた。
・明治維新で天皇が江戸に遷られる時に、手向山の御鳳輦を参考にしてつくられたそうです。
・新調した御鳳輦の足が、転害門の御輿台の4つの石の上にぴったり収まった。・明治維新で天皇が江戸に遷られる時に、手向山の御鳳輦を参考にしてつくられたそうです。
かつては、御鳳輦の他に三柱の神様の他のお二人が乗られる「葱華輦そうかれん」という御輿が2基あった。近い将来にその葱華輦も新調したいと宮司さんがおっしゃり、樽井さんが快諾されておられました。
上の写真、転害会では五色の饅頭が供えられていて、今もお供えされているのです・・・が、昨年は樫舎さんに頼むのを忘れたというような裏話も出て・・・!
(宇佐へも奈良からは樫舎さんの饅頭を樽井禧酔さん制作の饅頭箱に入れて奉納されるそうです)
・速水さんと樽井さんが知り合ったのは薬師寺の論議台を作ったときで、その経験があったので、手向山さんから御鳳輦新調のお話が来た時に即答できた。
・新調に当たっては、大きさと軽さについて注文された。
・屋根の四隅の「わらび手」↓のラインにこだわった。
(古いものは緩やかなカーブなので、屋根のそりは緩やかに)
・作業場近くに住んでおられた石工の佐野さんが毎日見にこられた。
・博物館の学芸員さんに日記をつけておくよう勧められたが、ものを作っていると日記は書けないし、できたものがあるので充分、自身の経験の方が大事である。・出来上がった御鳳輦↑に、ここからここから色々なもの(金具や錦、襖など)をつけていくが、全然下品にならないのが印象的だった。
・・・等々、貴重なお話を拝聴させていただきました。
::
また「手向山八幡宮例大祭転害会」Facebookページ★には、「御鳳輦」新調の工程も掲載されていますので是非ご覧ください。
余談ですが、トークイベント終了後に氷室神社さんの御鳳輦について、樽井さんにお尋ねしました。
氷室神社御鳳輦渡御のブログ過去記事★の写真をご覧いただいてもわかりますが、両社の御鳳輦はほぼ同じです。
氷室さんのは、新調されたのではなく、江戸時代後期につくられたものを塗り直し修理されました。
当時、興福寺一乗院が手向山さんのを真似てつくらせて氷室さんへプレゼントした御鳳輦なので、ほぼ同じなのですね。
氷室神社御鳳輦渡御のブログ過去記事★の写真をご覧いただいてもわかりますが、両社の御鳳輦はほぼ同じです。
氷室さんのは、新調されたのではなく、江戸時代後期につくられたものを塗り直し修理されました。
当時、興福寺一乗院が手向山さんのを真似てつくらせて氷室さんへプレゼントした御鳳輦なので、ほぼ同じなのですね。
最後に、関連イベントのお知らせがありましたので、次回のブログでご案内いたします。(続く)