さて、明日はいよいよ吉野への旅。
同じ奈良県内ながら、そして何度かおじゃましているところでも、普段の暮らしからちょっと旅に出る、お泊りするというだけで、行く前からワクワクな気持ちでいっぱいになっています。
金剛蔵王大権現様の特別開帳は11月で終わってますが、久しぶりに金峯山寺を訪れるので、今年の春先に読んだ「金峯山寺の365日」を今一度読み直してみました。
若き僧侶・五條永教師が綴られた金峯山寺での日々。
じっくり読み直したおかげで、吉野の歴史や風土や空気感が匂い立つように感じられて、訪れるのがとても楽しみです。
最初に読んだ時にも、これ!と感じた箇所があるのですが、心に響いた言葉や文章が結構あって、自分メモ的にここに記しておきます。
「自分自身が前向きな心を持ち続けるように務める」
これは五條永教師が「僧侶の役割」とは何だろうと答えを探し続けて思い至られたことで、前向きな心で接することで、周囲の人の心にも前向きな連鎖が生まれ、より大きなポジティブな影響が与えられるのではと書いてらっしゃいます。
僭越ではありますが、私の仕事にも同じようなことが言えると思います。私も前向きになんでも捉えるようにしたいと思い、そのためには自分がご機嫌さんであれば、何事にも前向きに考えられるのではないかと思っているのです。
それから「お参りを楽しもう!」というページで「できることなら聖地では宿泊していただきたい」と説かれています。
これは、僧侶が修行する際の一日の起点が、夕方(この時間帯を初夜そやという)から始まって、夜は寝て、未明に起きるという順番になっていることから、つまり一晩を過ごして朝を迎えることによって、その土地の持つ”気”が、身体と心の隅々までしっかりと巡り、行き渡り、循環するのだと。
一晩を過ごすことによって”気”が循環するから”元気”になるのだとおっしゃって、「吉野に限らず聖地と呼ばれる所では是非泊まって下さい」と、宿泊業に携わる者にとってもお薦めしたいことが書いてあって、成程と納得しているのでした。
その他にも成程!と頷く文章に惹きこまれながら読み進んだのですが、最後のページにある「”恕”の心」について、”恕じょ”とは「思いやり」という意味の他に「ゆるす」という意味もあるのだそうですが、つい「自分は間違っていない」と思うこともあって、このページに書いてあることはこれから学んでいきたいことでもあると思いました。
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「興福寺の365日」(ブログ過去記事★)に続いて出版された「金峯山寺の365日」。このシリーズの3作目「大安寺の365日」も間もなく発行されるそうで、こちらも楽しみにしているところです。
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奈良倶楽部は明日から3日間お休みを取っています。
吉野から一旦 奈良市内、そして母の見守り実家泊りと、合間に奈良倶楽部に戻っている時間もあるので、ご予約のお返事などは少し時間がかかりますがお待ちいただければと思います。
よろしくお願いいたします。