2021年10月13日水曜日

県美「森川杜園展」

奈良県立美術館で、森川杜園生誕200周年記念特別展が開催中です。

「これが奈良一刀彫」
白地にシンプルなデザインと秀逸なコピー。

生誕200周年記念展ということで、昨年の春日大社国宝殿で開催された『芸能の美・杜園の心 ―奈良近代彫刻の名匠、森川杜園生誕200年にちなんで―』展に次いで、奈良県立美術館でも杜園芸術の神髄が紹介されています。
県美では、素晴らしい一刀彫(奈良人形)の数々の他に、絵師・狂言師として活躍した一面の紹介や、超絶技巧が発揮された名宝の模造作品も多く出陳されていて、多岐にわたる杜園芸術の全貌を知ることができます。
こちらの作品のみ撮影可でした↓「観音菩薩立像」(模造)
絵師・狂言師として活躍した一面の中に、個人的に「おお!」となったものがあります。それは、慶応3年に松尾神社に奉納された2点の絵馬と、杜園の寿命を縮めたある一件について、すべて私の故郷と関係があったのです。

まず、絵馬が奉納された「松尾神社」は木津川市山城町椿井にあり、私がお宮参りをした神社。結婚するまでは私も氏子だったのです。
2点の絵馬「狂言福の神図絵馬」と「能猩々図絵馬」には、「奉懸御神前」「奉懸御寶前」と大書され、上狛村・林村・椿井村とあります。キャプションには、『世相不安が増す幕末の慶応3年、上狛村・林村・椿井村の三村共同で祈願し奉納したもの』とありました。
これらの絵馬は京都府立山城資料館に寄託されていて、こちらで写真が見れます。

また、杜園の寿命を縮めたある一件とは、明治27年(1894年)木津川の架橋式で、医師が止めるのも聞かず狂言を演じて、それがもとで亡くなったそうなのです。
木津川の橋とは、もちろん今の泉大橋ではなく、もう少し西にありました。子供の頃、木津川で川遊びをしていた時に、コンクリートの橋柱が残っていた記憶があります。

自分の生まれ故郷と森川杜園との繋がりを知り、そもそも誰が絵馬の依頼をしたのだろうとか、架橋式に招待されるくらい上狛と縁が深かったのかと、妄想が駆け巡ります。

「森川杜園展」は11/14まで開催ですが、10/19より後期展示がはじまるので、もう一度拝見したいと思います。
また、「大和学舎」のミニ講座では初回無料で、『奈良人形の名工、森川杜園とその時代について。』岡本彰夫・奈良県立大客員教授が語って下さいます。→
約20分のお話です、こちらもどうぞご覧ください。