2024年8月16日金曜日

「小さな出会いが結ぶ大きな物語」その①

8月12日
平城宮いざない館で開催中の「万葉挽歌れくいえむ‐人形からみる古の奈良‐」展でのトークイベント「小さな出会いが結ぶ大きな物語」。
人形制作者・永瀬卓さんと、人形たちが世に知られるきっかけを作った日本画家の中田文花さん、展示を実現にこぎつけた岩戸晶子さんの3人によるトークイベントに参加しました。

ブログでは、トークイベントの内容を2回にわけてご紹介していきます。まずは、奈良倶楽部での小さな出会いについて・・・

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すでにご存じの方もいらっしゃいますが、永瀬さんの人形たちをSNSを通して世に出して下さった中田文花さんに永瀬さんをご紹介したのが奈良倶楽部ということもあって、お三方の鼎談始めに私もご紹介にあずかり、その出会いの日の出来事をお話させていただきました。

2020年奈良倶楽部→中田文花さん(SNSでバズる)→2022年ライターのいずみゆかさんが Lmagaで記事に→それを読んだ奈文研(当時)の岩戸晶子さんが展示に向けて動き出し→2024年開催実現!

この一連のバトンを繋いでいくストーリーを、ライターのいずみゆかさんが記事にして下さっています。

◆いずみゆかさんの2022年の記事→
(2020年の奈良倶楽部での出会いもここに書いてあります。人形制作についても詳しく取材されていて、ここから岩戸さんへとバトンが繋がっていくきっかけになった記事です)
◆いずみゆかさんの2024年の記事→
(開催に向けて動き出したことなど岩戸さんの苦労話も)

2024年の記事の文中にある
この開催までには、「東大寺二月堂の観音様の『計らい』だったのではと思います」と永瀬さんが語る
という一節があります。
トークショーの中で、中田文花さんも同じようなことをおっしゃってましたが、奈良倶楽部で文花さんに永瀬さんをご紹介した「偶然の出来事」は、そこに至るまでの24時間のいろんな出来事がちょっとでもずれていたら実現しなかった、だからこそ後から思うと「必然の出来事」だったと、まさに「観音様のお計らいで動いたこと」だったと思うのです。

トークショーではそのようなお話をさせていただいたのですが、そんな偶然の重なりをここでもご紹介します。(以下長文です)

まず、2020年3月はコロナ禍が始まった頃で、いつもなら修二会の期間は多忙を極める奈良倶楽部にも宿泊キャンセルの嵐が吹いてました。

ちょうど同時期に「春日野窯」で中田文花さんが作品展を開催しておられて拝見に伺い(ブログ過去記事)、私の中に、文花さんが造形作家だとしっかりインプットされます。
(それまでは日本画家というイメージが大きかったのです)
またそこで、キャンセルが相次いでいるという話を聞いて、文花さんより3/10ご一泊素泊りの予約をいただきました。
(実は旧知の間柄ながら、奈良倶楽部宿泊はこの時が初めてでした)

3/10は永瀬さんも10日11日と2泊ご予約いただいていた日で、コロナ禍で旅行を迷いながらも、予定通り関東からお越しくださいました。

11日の朝食の席では、文花さんは素泊りなので、お二人はまだお会いされていませんし、この時点で、永瀬さんが私にと持参された写真集もまだ見せてもらっていませんでした。

3/11の朝、永瀬さんが観光に出発の後、文花さんよりもう一泊延泊したいと申し出があって、二月堂へとお出かけに。

その後、ふと見るとソファのところにスマホを忘れていらっしゃる!
どうしたものかと思いながら、この時間帯なら大勢の友人知人が二月堂にいるはずと、私はフェイスブックに「文花さんがスマホをお忘れなので、二月堂でお見かけした方はお知らせしてあげてください」と投稿。
すぐに共通の友人から連絡があって、無事にスマホをお届けできたのですが、この時この投稿を見ていた別の共通の友人Oさん(文花さんと同じく華厳宗得度僧侶)が「奈良倶楽部で宿泊しているなら朝食付きにするべきよ」と、強くお勧めされたそうで、延泊された2泊目は朝食付きに変更になりました。

創作活動に忙しいと文花さんは昼夜逆転の生活だったりで、朝食付きになるのは非常に珍しいことなのですが、ここで翌日の朝にご紹介できるという流れが出来上がります。

一方、その11日の夜に永瀬さんから写真集をいただき、拝見した私はびびびっと電気が走るような衝撃を受けます。小さなサイズの写真ながら、この人形たちは何というオーラを発しているのでしょう!
言葉にならない感動を感じて、「あ!人形作る人がもう一人泊ってらっしゃる」と、永瀬さんに「明日の朝、ご紹介したい人がいます」と、何の躊躇もなく口から言葉が出てしまいました。
誤解のないようにお断りしますが、仕事の性質上お客様の情報を他の方に安易にお伝えすることなどなく、まして人見知りな私の性格上、誰かと誰かを結びつけるようなことは余程のことがない限りできません。でもこの時は言葉が先に出てしまってました。

2泊目の12日の朝、朝食を食べ終わった永瀬さんはタクシーを呼んで間もなくご出発という頃に、深夜まで聴聞されていた文花さんがダイニングルームにおりてこられました。
タクシーがすでに到着している、そのわずかな時間に写真集をお見せしてお二人をご紹介し合った私。今思えばすごいグッジョブなことですよね。

お二人の連絡先をご了解のもとお伝えして、後日に写真集を文花さんに送られた永瀬さん。それが2020年6月の事で、文花さんがそのことをフェイスブックでご紹介されています。→
この時、121件のコメントが入って、その反響の大きさにびっくり!
文花さんにご紹介したおかげで多くの方の目に触れることになり、(SNSをされたことがなかった永瀬さんにはコメントをプリントアウトして送って下さいました)ここから文花さんの発信力のおかげで、実際にお人形を拝見したい、展覧会を開いてほしいという声が上がっていきます。

それから2年経って、2022年6月に永瀬さんがご自身で撮影した人形の写真集「大和し思ほゆ」が、私と文花さんのところに届きました。(ブログ過去記事
前回はフェイスブックでのみ紹介された文花さん。今度はツイッター(現X)でこの写真集をご紹介されたところ、10万以上の「いいね」が付いてネットニュースにも取り上げられ、そこから岩戸晶子さんにバトンが繋がっていくわけです。

小さな偶然の積み重ねやいくつもの出会いが連鎖して、バトンを託された走者たちがそれぞれの持ち場で自分にできることを精一杯してまた次にバトンを繋いで、小さな出会いからスタートした物語が、人形たちを奈良の地に呼ぶことができるまでの大きな物語になっていき、その出会いのきっかけに奈良倶楽部が関われたこと、とても有難くて光栄なことでした。

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長文を最後まで読んでいただきありがとうございます。
その②は永瀬さんがお話された、作品に対する思いや、開催実現までの岩戸さんのお話などをご紹介したいと思います。(続く)