2020年1月30日木曜日

北鎌倉 東慶寺「しばにゼミ」

こちらも「東京ステイ」中にお出かけした記録です。
北鎌倉の東慶寺さんで、今回3回目の開催になる「しばにゼミ」に初参加させていただきました。
北鎌倉は息子宅からも近く、一度訪れてみたかったのです。
東慶寺ブログで「しばにゼミ」のことを何度か読んでいましたので、いつかタイミングが合えばいいなと願っていましたら、ちょうど私の滞在中にゼミがあると知り、早速申し込んだのでした。
「しばにゼミ」とは・・・東慶寺ブログのこちらに説明がありますが、野菜料理研究家の宮本しばにさんを中心に、第一部では、素朴な美味しい料理を作って、皆でいただく。
第二部では、その回のテーマと関連するような文章が紹介されます。その文章を読み、参加者皆で感想を分かち合う・・・。
料理教室に留まらないゼミナールのような会なのですが
参加前は、その説明を読んでもあまりよくわからず、寺庭さんとなった旧知の友人に会えることが楽しみで伺いました。
ゼミ開始前に本堂にお参りして、境内を少し散策しました。

雨上がりの午後の境内は、とても清らかな光に満ちていました。
時間になり、会場の「白蓮舎」へ
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第一部は、蓮根バーグと薬味たっぷりのつけ麺うどん、芝蘭豆腐。
3種類のお料理を3~4人一組で3チームに分かれてレシピを見ながら作っていくのですが、大切なのはレシピ通りに作ることではなく、どうしたら美味しくなるか、誰が食べるのかなどを考えてつくることであるとお話されました。初めてその場で出会った人たちと段取りを考えながら作っていくのもまた楽しいことでした。 
出来上がったお料理は豪華ではありませんが、丁寧に作って味わっていただきました。とても滋味深かくて美味しかったです。
第二部、今回のテーマは、“潔さ”についてでした。
禅宗(曹洞宗)の2人の僧侶の言葉が紹介されました。
「食えなんだら食うな」関大徹(曹洞宗僧侶)
もう一つは、余語翠巖よご すいがん曹洞宗師家会会長著『いたるところ道なり』 より抜粋された文章です。(以下、青字部分

どの場所も、人間の正念場であるわけです。すべてそうなのです。 
こっちの方がよくて、あっちのほうがよくないというように、 よりごのみ、つまみ食いをしているから、ものがわからん。どこもここも人間の正念場です。生まれてから死ぬまで、全部正念場の連続です。今日こそ正念場だ、などと思っているからわからんのです。これだけは違う、というところはないのです。

自分の正念場にしゃんと腹をすえるということは、やはり自分に従っていくことです。自分というのは個のワタシじゃないのですよ。天地の姿を現じている、このワタシがやっていることが全部正念場だということです。
朝起きて、寝るところまで、全部正念場です。より好みをして、自分の好き嫌いでやっていたのではだめです。いいことばかりあるわけではないのだから、全部それが正念場だと思ってやるのです。

人間が生きる上でいろいろな職業につかなければならないわけですが、わりのいいものも悪いものもあるわけで、どれもこれも、そういう人生の大事から考えてみると、同じように正念場です。

比べてみれば、いい時も悪いときもある。何がいいのか悪いのか、自分で勝手に決めるから、いい時も悪い時もできるのです。 全部天地の姿です。


「食えなんだら食うな」という一言は、若いお坊さんが、関師のもとへやってきて、「自分のお寺は収入がないが、結婚もしたい。結婚をしたなら子供も欲しい。でもそうなると食べていけない」などと悩みを話した、そんな彼への返答だそうで、「病は死ねば治る」という言葉に通じるくらい、くよくよせず正々堂々と今やりたいことをやって生きることが大切だと説いている言葉だと。
その短い一文と同じ意味を、もう少し丁寧に説いているのが、余語翠巖師の文章ではと、引用されました。
この日のレジュメの中に書き留めた自分のメモ
「自分のわだかまりをどれだけ取るか。人に対してのわだかまりでなく、自分の中のわだかまり。」「自分を許すこと」「人に対しての感情は、相手を見るのでなく、腹を立てる自分の感情を見る」
全部が正念場という生き方、逃げずに生ききるという「潔さ」が大事と、そのようなお話を伺って深く納得したのでした。
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最後に、宮本しばにさんよりお知らせです。
京都でイベントやSHOP展、書籍&道具フェアを開催されるそうです。
◇1/28~2/24 ラクエ2F ハミングバードブックシェルフ
「書籍&道具フェア」開催
◇2/15~2/28 恵文社「手仕事の台所道具展」
◇2/22 ラクエ四条烏丸 「台所道具とおむすびのにぎりかた」
要申込:詳細はこちら
京都近郊の方、よろしければどうぞお出かけくださいませ。