2025年8月14日木曜日

お盆に思うこと

盛夏の花の少ない時期にホトトギスや高砂百合が庭に咲き始めると ちょっとほっとします。



特に今年は高砂百合が通路わきに数輪もなって、こんなところに咲いてくれてありがとうと思いながら、最初の一本を館内に生けてみました。

奈良俱楽部の裏庭に最初にこのユリを植えたのは亡き父だったと、思い出しています。

私の実家は本家ではないのでご先祖様をお仏壇に祀っているわけではなく、そういうところからなのか、おしょらいさんをお迎えに行ったりお送りしたりというようなこともしたことなく、盂蘭盆会のしつらいもなく、父の初盆の時だけみんな集まっただけで、お盆はショートステイ先に居る母。あれから毎年父はこの世のどこに帰っているのだろうと・・・この時期に裏庭に来る羽黒蜻蛉を見ては思うのです。
(浄土宗の夫の実家の丁寧なお盆行事に初めて触れたときはびっくりしたものでしたが、義母も私のもの知らずにびっくりしたことでしょうね。これもお盆の時期に毎年思い出していますが)

今年はあまりの暑さにお墓参りも行かず(弟が代表で行ってくれたのでそれでよしとして)、心の中で思っているから思い出しているからと、念仏のように唱えて・・・

戦後80年のテレビを見て考えること、深く思うこと。
遠い世界で起こっている戦禍に、ここ数日に起こった水害の被害の大きさにも胸を痛めながら、やはり心の中で祈るだけ想うだけの日々。
でも、自分ごときの心の中の小さな祈りや想いでも、世界の安寧と平和、亡き人の冥福を願わずにはいられないと、お盆の中日に思うのでした。