東大寺・金鐘ホールで、東京大学・藤井恵介名誉教授による、東大寺学講座-知ることは楽しい- 『お水取りと東大寺二月堂』と題した講座があり、拝聴してきました。
東大建築学科教授の立場から、二月堂という建築空間から考察した修二会のお話は大変興味深いもので、局と礼堂の関係や、中世の修二会聴聞者の局での様子など、現代の局での聴聞とは全然違った雰囲気に驚くことしきりでした。(例えば、局で飲食をしたりとか)
また別の寺院の法会の例ですが、絵巻に描かれた局での聴聞者のほとんどが横になって寝ている姿というのがあり、これは夢の中に観音様に出てきてもらうためだったのではという考察などにもびっくりでした。(司会進行の上司永照師も、一度、局で寝てみたいものだとお話されていましたが、できるものならしてみたいですね)
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さて、ただいま東大寺ミュージアムでは「二月堂修二会」の特集展示をされていますが、金鐘ホール地下一階の小ホールでは、修二会参籠の練行衆の持ち物が展示されています。
上司師曰く、奈良博ではできないような展示だそうで(かなり至近距離!写真撮影OK。持ち物のほとんどが上司師のもののようでした。)
講座終了後にそちらに移動して拝見してきました。
※小ホールに入場するには東大寺ミュージアムの入場券が必要です。
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小ホール会場には上司師もお越しくださって、皆さんの質問に熱のこもった説明が始まって、会場は一瞬で熱気に包まれたのでした。
入ってすぐのところにあるのが黒色の衣が「重衣じゅうえ」
上司師が以前に着ていたもので、今は2代目。どちらも10年以上は着ているとおっしゃってました。
「重衣」の下に展示しているのが「たっつけ袴」
紙衣の上に「たっつけ袴」を穿いて重衣を着けるそうです。
上堂袈裟(左)と食堂袈裟(右)
上堂袈裟は燈明の煤や抹香の煙に満ちた堂内で使用するので、自ずと違いが出ています。展示中の袈裟は平衆用の袈裟だそうです。
写真ありませんが、持ち主の名前を書いた着け札が隣に展示。
「差懸さしかけ」左上のが桜(二月堂境内にかつてあった桜の木より)、右が松でできていて、重さがずいぶん違うそうです。
手前に展示の「板草履」を履いて上堂されます。
「カンテキ」(火起こし器)と、左が火をつけやすくするために入れる小さな木片「コンペイトウ」。
写真後方に写っているのが「紙衣かみこ」で、後ろ側の展示は上司師のもの。その隣には前向きに展示した筒井長老の紙衣がありました。
こちらは「後年帯こうねんたい」。紙衣を着用するときの帯ですが、安産のお守りになると伝えられています。
また、写真を撮り忘れたのですが、紙衣を作る前の状態がわかる展示もありました。それは、仙花紙せんかしという和紙と、それを揉んだり棒に巻きつけ押し付けて縮緬状のシワをつけていく様子が展示されています。一枚の紙衣を作るのに仙花紙は40枚から使うそうです。翌年用の紙衣のためにシワを付けるところまでは、別火坊でされるようですが、仕立てるのは翌年に参籠が決まってからだそうです。
練行衆のつづらは、本行中は仏餉屋に保存されています。
すべての持ち物に誰のものかわかるように紋が貼ってあります。このナデシコは上司師の印で、判はあっても、しっかりわかるように墨で上書きしているそうで、だいたい10枚くらいは必要だそうです。
「牛玉櫃ごおうびつ」の中に「中臣祓」の用具が入っています。
「中臣祓」・・・自分でお祓いするときの写真も展示されています。
写真の右側が「ハチノス」。実際に見るのは初めてでした。
上司永照師、ほんとにほんとに「お水取り」が大好きな方なんだと思いました。その楽しいワクワクが伝播して、私たちも修二会が来るのが待ち遠しい気持ちでいっぱいになりました。
上司師の頭の上に見えるこちらは「牛玉箱ごおうばこ」で牛玉札を入れておきます。その後ろに見える横長のものが、練行衆それぞれの守り本尊「掛本尊」です。
ところで、牛玉箱には「二月堂牛玉 平成三十一年 大導師」と書かれています。(つまりこれは橋村師のものですが)その表の部分を切り取り繋ぎ合わせて巻物のような形にしておきます。そうすると、自分がいつから参籠を始めたか、いつ参籠したかがわかります。そして亡くなった時に棺に入れて一緒に荼毘にふすそうです。
道具類だけでなく写真の展示にも興味深いものがありました。
別火坊の柱に残る背比べの跡とか↑
縁側に干された後年帯の様子とか↑
そしてもう一つ、会場で流れている映像は是非ご覧ください。
平成元年のものだそうで、貴重なお宝映像満載でしたよ。