2025年5月4日日曜日

僧侶のお話を聞く*

4月終わりから5月にかけての一週間は、オンラインも含めて僧侶の方のお話を聞く機会が3度あり、少しだけ簡単にブログに残しておきます。(と言いながら、以下かなり長文です)

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◆4/25「お坊さんと読む『日本霊異記』ー身を挺する吉祥天ー」
会場「ことのまあかり」/お話:薬師寺・高次喜勝師

「ことのまあかり」さんの高次喜勝師による人気のシリーズ。
私は、かれこれ7年前にこのシリーズの2回目に参加したきりで(その時のブログ)、久しぶりに講座に参加して、興味のあった内容だったこともあり、オンラインでしたがとても楽しく学ぶことができました。
『日本霊異記』は平安時代初期に書かれた最古の仏教説話集で著者は薬師寺の僧・景戒さん。
 「ことのまあかり」さんでは、景戒と同じ薬師寺僧侶の高次喜勝師に『日本霊異記』についてのお話をシリーズでお願いして、3年ぶり11回目の開催となりました。

今回は奈良博で開催中の「超 国宝」展に5/6までお出ましになっていらっしゃる吉祥天像がテーマでした。
お話された中で、薬師寺の吉祥天像のことは「超 国宝」展鑑賞記にも書きましたが、他に吉祥天には黒耳天こくにてんという妹がいて姉妹喧嘩の話など、知らないことも多く教えていただき興味が尽きません。

              (「超 国宝」展図録より、吉祥天像)

オンライン参加ならアーカイブでも視聴できますので、次回も参加したいところです。貴重で楽しい講座をありがとうございました。

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◆4/26「奈良の當麻寺と興福寺のトビラ」
会場「平城宮いざない館」/お話:松村実昭師・辻明俊師

「365日シリーズ」を最初に刊行した興福寺・辻明俊師と『當麻寺の365日』を刊行されたばかりの當麻寺中之坊・松村實昭師の対談。

              (上の画像↑、撮影は岡下 浩二さん)
「365日シリーズ」も5冊目。これからもシリーズは続き、次回刊行予定の社寺などのお話もありました。

対談では、お二人の出会いや、意外に知られていない當麻寺と興福寺に共通することや、南都焼討の際に、興福寺の巻添えで當麻寺講堂が焼失したことなど(興福寺・辻さんの千年越しの謝罪も!)や、如法衣という袈裟を3枚合わせた法衣が左前であることの意味など、裏話的なお話もあり。

また、當麻寺には真言宗と浄土宗の二つの宗派があることや、 練供養、中将姫様のこと、称讃浄土経や當麻曼荼羅のこと、陀羅尼助のお話など、著者ご本人からお聞きすると読んでいることが頭の中に入っていきやすくて大変興味深く感じました。

松村實昭師は、何のために拝んでいるのか、住職の務めとは何か・・・など、息子さんへの遺言のつもりで書いたともおっしゃっていますが、ご本を読んで仏教を楽しんでほしい、楽しんでもらうきっかけになればともおっしゃってました。
→追記:著書の中に、蓮華会式や施餓鬼会など詳しくご紹介があり、いつかタイミングが合えば参列させていただきたいと願いました。これこそが仏教を楽しんでもらうきっかけになるのでしょうね。

最後に辻明俊師より・・・
興福寺五重塔の保存修理現場見学会が5/23,5/24に行われます。多くの方が応募されて抽選に外れた方も多いようです。
今後も2回目3回目と見学会を開催されるようなので、興福寺のHPを時々チェックしてくださいとのことでした。

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◆5/1「五年目の修二会参籠 過去帳を終えて 礼拝行の功徳」
会場:手貝町会所 /お話:鎌倉・普賢光明寺 望月大仙師

       (写真は当日の司会役・倉橋みどりさんと望月大仙師)
参籠5年目で初めて過去帳を読み上げる「新過去」を、今年の修二会で経験された修二会練行衆中灯役の望月大仙師。
過去帳読み上げを通して感じたことを中心にお話くださいました。

過去帳は奈良時代から始まり現代にいたるまでの東大寺や二月堂に貢献された様々な方の名前が記されており、その数は膨大で、すべてを読み上げることは到底できません。
修二会において読み上げられるのは鎌倉の大仏再建頃までの抜粋ですが、それでも40分以上かけて読み上げます。

序盤の奈良時代はゆっくり低音で読み、中盤の平安時代は少し高くはっきりと読む中駆け、それから鎌倉時代に入って、それまでのテンポから一転して低く重々しい「青衣の女人」を読み上げ、そこから先は素早く読む早駆けに分かれていて、早駆けが終わると、折本に移って鎌倉時代から現代までの過去者を抜粋して読む段になります。

望月師は、誰もが知っている後醍醐天皇・足利尊氏・秀吉・淀君・家康など有名な方の名前を読み、家康公の後は分厚い折本をパッと開いて目についたお名前を読み上げていかれたそうです。
中には「盲目の按摩師」というのもあって、名もなき人々の観音様への帰依の心、祈りの心の上に修二会が連綿と続いているのだと、修二会が1274年も途切れなかったのは過去者がいて、次に渡していくのが練行衆の役割なのだと、過去帳を読み上げて感じたとおっしゃってました。

ちなみに、過去帳奉読の最後は、東大寺歴代の練行衆や管長など亡くなられて一年以上経った方々の読み上げで、明治以降はお寺の人の名前しか読まれないそうです。
(寄進者などは大導師作法の中の加供帳で読み上げられます)

修二会では六時の行法中は一滴の水も飲んではいけないという戒律がありますが、2回だけ飲んでいい時があって、走りの行法の後と、過去帳読み上げの時だそうで、いずれもカワラケにお香水を半分ほど注いで口に含むということでした。

参籠5年を経た望月師、来年は「古練」と呼ばれて一人前の練行衆として扱われ、後輩の指導なども行う立場になるそうです。

そして、昨年はブク(服忌)のため参籠されず2年を空けての参籠では、「回向文」や「南無観」などのかけあいでテンポが合わずに苦労されたお話もありました。

最後に「南無観」をお唱えしたり、参籠で使われたお道具類なども見せていただき、しばし修二会の世界に浸るひとときも味わうことができました。貴重なお話をどうもありがとうございました。