2025年7月27日日曜日

映画「大佛さまと子どもたち」

尾花deキネマ』 
ホテル尾花さんで「大佛さまと子どもたち」を見てきました。

終戦から数年後の、東大寺を中心とした奈良の社寺で観光案内をしながら生活している戦災孤児の豊太ほうたを主人公に、孤児の子どもたちの姿を描いた映画。

9年前に見たときは、今と違う社寺の様子をいちいち書き出したりしていましたが、今回はナビゲーターの中野さんの解説から、この映画の監督は実際に戦災孤児を8人引き取って、その子ども達がこの映画に出演していることや、映画に出演することによって身寄りがわかるかもしれないという状況であることなどを知りました。

今回も観光案内をしている豊太の礼儀正しさや仏様への畏敬の気持ちが全編通して伝わって、そこが私の一番の感動ポイントでした。 

以下、9年前のブログに書いた内容を転載しておきます。

 ・東大寺の大鐘をいつでも一般人が撞くことができた。(※映画撮影のために特別だったかもしれませんが) 
・二月堂の北の茶所の内部は今とほとんど変わらないが、出入り口には扉も壁もなく、二月堂に向いて全開だった。 
・昔の良弁杉の様子 
・三月堂内陣の後ろの執金剛神の扉の所まで行くことができた。(※映画撮影のために特別だったかもしれませんが)
 ・豊太に観光案内の説明を教えたのは、同じく戦災孤児で今は東大寺の塔頭の小坊主になった一雲さん。その一雲が修行している寺が、佐保山さんの塔頭で内部も少し映し出されていました。
 ・豊太と一雲が案内の説明について、裏参道の土壁に落書きしながらディスカッションしていた。 
・豊太を引き取ることになる落選彫刻家が居候している塔頭の知足院も内部が映っている。 
・当時、戒壇堂は一般公開されていなかったようです。
・大仏殿裏の講堂跡は松の大木が多く鬱蒼としていた。 
・観光客を乗せたボンネットバスが開山堂の前まで進入していた。
 ・春日大社参道を車が走って、二の鳥居まで進入してきている。
 ・般若寺の十三重石塔の周りに石仏が置かれていて(ころがっている?)荒れていた様子。
 ・般若寺は楼門から、大仏殿は中門から入堂している。 
・転害門も通り抜けできる。 
・興福寺北円堂の無著・世親像はご本尊の前方に安置されていた。
 ・興福寺五重塔に上ることができていた。(※当時は有料で登れたらしいです)
・地上にあった近鉄奈良駅の様子が懐かしい!(地下になったのは私が中学生のころでした)
・まちなかに普通に牛がいた。 
・きたまちの川久保町、念聲寺あたり、今は川が暗渠になっているが、川の様子が見られた。 

戦災を受けなかった奈良は、当時の人々の精神性のよりどころとなっていたようで、復員兵が戦後の奈良を夫婦で訪ねて、日本人としての誇りを心の中に取り戻すというような場面もありました。

その他に、家のない浮浪児の豊太の郵便物受け取りの住所は、なんと東大寺南大門の仁王さんの柵のところで、ちゃんと郵便物が届けられて、当時の世相の融通の利きようも現在では失われているように思いました。

帰って来ない父の消息を知ろうと、ラジオの尋ね人の時間は、ラジオが聞こえる家の軒先で耳を澄ます豊太。 

落選彫刻家の小父さんも東京へひきあげることになり、一人ぼっちの豊太を連れて行ってくれることに。
その前夜、豊太は一雲と一緒に大仏さまの大きな掌の上で眠るという場面で映画は終わります。
大仏さまの無限の愛に包まれて きっと希望に満ちた夢を見ていることでしょうね。

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9年前に観たときは、懐かしい風景の変わったところにばかり目が行ってましたが、今回は戦災孤児の子どもたちの寂しさや仲間を思いやる優しさや、周りの大人達が子どもたちを見守る様子などにも心を掴まれました。

余談ですが、大鐘の衝座についての説明でまた小ネタを仕入れたので、こちらも朝歩きツアーの折にご紹介しますね。