春日大社「学びの会」
10/13 <いのちと心の講座175>花山院宮司による講座「三社託宣の世界〜伊勢・石清水・春日〜」を聴講してきました。
花山院(かさんのいん)宮司のお名前から、「光る君へ」で本郷奏多さんが演じる花山(かさん/かざん)天皇が始祖ではと思われるそうですが、初代は藤原道長の曾孫・家忠で、この方が花山院上皇の在所だったところに住んでいたことから「花山院」と呼ばれることになったと、またその在所だったところに宗像神社があり、その境内には花山稲荷社が祀られているということです。
人々の生活の中に広く信仰された三社の神様の教えについて
内容をかみ砕いて解説して下さいました。
「天照皇太神宮」【正直】
悪事を企み眼前の利潤を成しても、必ず神明の罰が当たる。
正直に生活することで依怙贔屓を得られずとも必ず幸せが訪れる。
「八幡大菩薩」【清浄】
たとえ鉄丸を食すといえども心穢れたる人の物を受けず
銅焔に坐すといえども心が汚れた人のところで接待を受けない。
「春日大明神」【慈悲】
千日間注連縄を張った清めた家であっても邪見の家に至らず
重い喪に服していても慈悲の家なら赴くことはいとわない。
【正直と浄らかな心と慈しみ】という三社の神様のお告げ(託宣)は平安時代には成立していたようです。
同時夢想といわれる、嵯峨天皇が天照大神の、弘法大師が八幡大菩薩の、卜部氏が春日大明神のお告げを同時に夢の中で賜わったそうで、平安時代にまずは宮中で信仰され、鎌倉時代には東大寺東南院の庭前の池水に託宣の文字が現れ、武士の間に広まり、室町時代には吉田神道をつくった吉田兼倶が庶民に広めて、以降600〜700年の間に日本中に広まって、日本人の道徳に一番影響を与えたのでした。
その、日本中の庶民の間に広まった一つに、「三社宣託」を掛軸にしてどこの家にも掲げられていたからというのもあるようで
春日大社がお持ちの掛軸をいくつか見せていただきました。
(講座終了後に撮影タイムがありました↓)
字がくすんでわかりづらいので、もう少し見やすいものを手に入れられたのが、下の写真↓の左側のもの。
下の写真↓の右側のものは、蝋燭の煤で真っ黒になっているところからこの掛軸を拝みに拝んだことがわかる江戸時代のもので、文字が飾り文字になっています。写真ではわかりにくいですが、八幡大菩薩ではなく八幡大神宮と書かれています。
また、下の写真↓の真ん中のは、文字がわからない人のために絵で表された掛軸。上部に描いてあるのは日輪(天照皇太神宮)と月輪(お釈迦様)。
同じく、絵で描かれた掛軸で上の写真↑の左側は、春日さんだけ後ろ姿になっています。この掛軸は江戸時代末期に花山院家厚が描いたもので、藤原氏にとって春日の神様は、お顔を拝することも畏れ多いことと、後ろ向きに描かれたようです。
掛軸の絵の八幡さんは弓矢を持つ姿で、武士の神様を象徴している。皇祖神である天照大神は天皇家の神、春日さんは藤原氏(貴族)の神・・・と、三社の託宣はそれぞれ天皇家・貴族・武士へ、そして庶民へと大切に広がっていったのです。
この道徳が、今の世の中、少し崩れてきているように思うのは、神棚がない家が多くなっているからではないかと、最後に宮司さんがおっしゃったのがとても印象的でした。
いつもお参りしているところでも、こうして神職さんのお話を聞きながらご案内していただくと、また知らなかったことを知り得たりと興味が尽きませんね。
余談ですが・・・
それが、三社池のところにあったのではなく東隣にプールがあって、三社池は沼地のようだったということを、つい最近知ることになり、三社池に興味が集中し始めたところにこの講座の事を知って聴講したのです。
講座では「三社託宣」について詳しく教えていただき有難いことでしたが、三社池については託宣が現れたということ以上には知ることができず、もう少し調べていこうと思っています。