お水取りの時期に合わせて、毎年恒例この時期に開催される 奈良国立博物館の特別陳列「お水取り」と、東大寺ミュージアムの特集展示「二月堂修二会ー受け継がれる誓いー」。
両館で関連するものが出ていることも多いので併せて鑑賞しました。そして、なくなり次第終了ですが、ただいま、異なる絵柄の絵はがきが配布されています。(数量限定)
さて、では関連するものとしてはどのようなものが出陳されているのでしょうか
今年の修二会には、初めて練行衆に入る 新入しんにゅう がいることから、これにあわせて初公開の 「牛玉誓紙ごおうのせいし 」が展示されています。
室町時代の二月堂両堂練行衆日記にも、見境なく刷ることを制限すると書かれていて、牛玉札はたいへん人気だったようです。
奈良博の展示品は、以前に拝見したものも多いのですが
今年は新入以外に、大導師、和上も初のお役になられるので、新入のために行中の心得や作法を記した書物「新入心精進之事」と「二月堂和上日記」と「大導師覚悟記」が同じ陳列ケースで展示されているのを見るだけでグッとくるものがあります。
東大寺ミュージアムでの
特集展示「二月堂修二会ー受け継がれる誓いー」では今年の修二会には、初めて練行衆に入る 新入しんにゅう がいることから、これにあわせて初公開の 「牛玉誓紙ごおうのせいし 」が展示されています。
公開されている「牛玉誓紙(牛玉堂方記録)」は室町時代・延徳4年(1492)のもので、新入がすることの一つに、この巻物に、行法に際しての約束事を観音様に誓うためにまずは署名をするのだそうです。
室町時代から500年以上、その時々の新入の名前が書き継がれている巻物・・・さりげなく展示してありますが、ずっしりとした歴史の重みを感じます。
行法に際しての約束事には牛玉札ごおうふだを刷る枚数を守ることがあり、キャプションを読んでみると、背いたものは罰をこうむるとか、25枚をこえて刷ってはならないとか、たとえ貴族の注文でも引き受けてはならないなどが書かれています。
室町時代の二月堂両堂練行衆日記にも、見境なく刷ることを制限すると書かれていて、牛玉札はたいへん人気だったようです。
その他には「陀羅尼札」と、満行後に参籠されなかった寺僧に手渡される八枚連続で刷られた「続牛玉つづきごおう」(現代)と、鎌倉時代・文永3年(1266)の、続牛玉の裏面に起請文が記された「東大寺衆徒等連署起請文」(国宝)も展示されています。
ところで、今でも25枚以上刷ってはならないのでしょうか?
練行衆への参籠見舞いの御礼にとこの牛玉札をいただきますが、私がそんな貴重なものをいただくほどの者ではないし、二月堂受納所でも販売されているので、現代ではもう少し多く刷っておられるのでしょうか?
私事ですが、その牛玉札も10枚以上になりましたので、陀羅尼札(こちらは受納所で購入)と一緒に額装することにしました。
いただいた牛玉札を改めて並べてみると、刷り方が濃かったり薄かったり片方に寄っていたりと、それぞれに個性があって面白いものでした。出来上がりましたらブログで公開しますのでご覧くださいね。
練行衆への参籠見舞いの御礼にとこの牛玉札をいただきますが、私がそんな貴重なものをいただくほどの者ではないし、二月堂受納所でも販売されているので、現代ではもう少し多く刷っておられるのでしょうか?
私事ですが、その牛玉札も10枚以上になりましたので、陀羅尼札(こちらは受納所で購入)と一緒に額装することにしました。
いただいた牛玉札を改めて並べてみると、刷り方が濃かったり薄かったり片方に寄っていたりと、それぞれに個性があって面白いものでした。出来上がりましたらブログで公開しますのでご覧くださいね。
ということで、自分と少し関係のあるものもあったので、東大寺ミュージアムの特集展示は、少ない展示品ながらも見ごたえがあって、興味深く拝見しました。
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その牛玉札と陀羅尼札に関連して、奈良博の「お水取り展」では、牛玉札と陀羅尼札の板木が展示されています。
それも、江戸時代に二月堂が炎上した時に焼け跡から発見された板木で、陀羅尼札の板木は一部焼け落ちているところもありました。
奈良博の展示品は、以前に拝見したものも多いのですが
今年は新入以外に、大導師、和上も初のお役になられるので、新入のために行中の心得や作法を記した書物「新入心精進之事」と「二月堂和上日記」と「大導師覚悟記」が同じ陳列ケースで展示されているのを見るだけでグッとくるものがあります。
その他に印象的だったのは、二月堂内の指図として「実忠和尚一千年遠忌法事執行記」と「倶者三十講日記」に書かれた二月堂堂内の見取り図。
「実忠和尚一千年遠忌法事執行記」↑には、大観音の前に小観音、実忠和尚の御像も内陣へ安置されている様子が描かれていて、修二会の翌日3/15から盛大に執り行われた様子がわかりますし、この期間に合わせて霊宝などのご開帳も行われたそうで、本年10月に行われる良弁僧正の1350年遠忌についても想いを馳せてしまいます。
また同じように二月堂内見取り図が書かれた「東大寺倶者三十講日記」(1702年元禄15年11月)↑にも礼堂が会場となり、局に聴聞の僧の名前が書いてあって、公慶上人・公盛上人の名前が局の東南に書かれていました。
公慶上人への憧れがあるので、いつか局での聴聞が叶うようになれば、まずはこの位置に座ってみたいと思いました。
公慶上人への憧れがあるので、いつか局での聴聞が叶うようになれば、まずはこの位置に座ってみたいと思いました。
そして公慶上人といえば、「六時之差帳ろくじのさしちょう」に、朔日半夜時導師 式部卿(公慶上人のこと)の名前が。公慶上人にも時導師をされる平衆の時代があったんだと、これまた感慨深く拝見しておりました。
その他、実際に法会で用いられた法具などを見ていると、その時代その時代の息づかいがふっと感じられたりして、1200年以上の時の流れも自分なりに捉えられて、興味の尽きることがない展覧会でした。
最後に、奈良博の「お水取り」展で初出陳となる油甕について
こちらの写真は、購読している毎日新聞の切り抜きです。
実はこの「油甕」は、このブログを通してのご縁が元でお目見えしたという経緯があり、今回、ウエブマガジン「奈良、旅もくらしも」に文章を書かせていただきました。
記事が更新されましたらお知らせしますので是非ご覧下さい。
最後に、奈良博の「お水取り」展で初出陳となる油甕について
こちらの写真は、購読している毎日新聞の切り抜きです。
実はこの「油甕」は、このブログを通してのご縁が元でお目見えしたという経緯があり、今回、ウエブマガジン「奈良、旅もくらしも」に文章を書かせていただきました。
記事が更新されましたらお知らせしますので是非ご覧下さい。
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